今日は睡眠薬が切れたので、
1か月ぶりに精神科に行きました。
結果!
安定剤は処方されず、睡眠薬のみになりました!
三週間、自主的に断薬していた旨を伝えたら、
割とすんなり通りましたね。
今でも離脱症状的な痺れと悪寒みたいなのはありますが、
飲んでいた時よりも頭は冴えているかと思います。
その後、祖母の病院へ。
本日は入院していた祖母の退院手続きの為、
叔父と病院へ行きました。
叔父は祖母との関係が悪く、
「早く死んでほしい」ということをボヤいていました。
叔父は警察官で、あまり時間に融通の利く仕事ではありません。
そんな中、倒れている祖母を発見し、介護をしたり、
仕事をしたりと活動していたため、とても疲れている雰囲気でした。
さらに3~4年前に胃ガンを患い、2~3年前に奥さんである叔母もガンを患っており、かなりへばっているようでした。
叔父は胃ガンの際に胃を切除している為、
体力もかなり落ちている中での介護は相当キツイものがあったと思います。
また叔父の妹である母も、介護職でかなり忙しい毎日を送っており、仕事終わりに祖母の介護のために、ほぼ毎日通っていました。
言い方は悪いですが、
「1人の老人の為に家族が犠牲になっていた」という状態でした。
その為、疲弊しきっていた叔父と母は祖母に対して、
厳しい口調を使うことが多々ありました。
そうなると傷つくのは祖母です。
今まで出来ることが病気をしたことによりできなくなり、
挙句の果てには叔父に怒られるために「家に帰りたくない」という始末。
元々、わがままな性格にさらに拍車がかかったようです。
介護のせいで「全員が不幸な状態」になっていました。
そこで私が登場しました。
営業していた時期から「何故か、老人に好かれる」という謎のスキルで、祖母の話を聞くことにしました。(祖母から電話が掛かってきたんです)
すると祖母はこんなことを言っていました。
(母と叔父には言っていません)
「私が病気して二回も救急搬送されているせいでみんな冷たい」
「家に帰ったって皆に迷惑を掛けるだけだから家に帰りたくない」
「飼っているインコも叔父に取られた為、帰ってもつまらない」
「孫にこんなことを話しているのが情けない、みんなが敵に見える」
祖母は祖母で健康が自慢だったのに、
動けない自分がもどかしく感じていたようです。
そして2回に渡る救急搬送。
祖母はプライドも高く、人の意見に耳を貸さないタイプの老人です。
ですが私のことは幼少期からずっと可愛がってくれて、
祖母の唯一の心の拠り所が私だったようです。
祖母曰く、家族で一番、優しいのは孫である私とのこと。
だから私はそこに付け込むことにしました。
祖母のプライドをここで砕かないと、
後々に家族全員に迷惑が掛かると判断しました。
だから私は真っ向から聞きました。
「あと何年、生きたい?」
祖母は少し考え込んだ後、「あと10年は生きたい。」
私は、厳しいと思いながらもこう言いました。
「10年後死ぬときに皆から嫌われて死ぬのと、悲しまれて死ぬのどっちがいい」
祖母は一言、「悲しまれたい」と答えました。
私は祖母に言いました。
「俺はこれから先、ばあちゃんが大好きだし、この先も嫌いになることはないよ」
「それは、叔父も母も同じだし、ばぁちゃんが嫌いになることは絶対に無い」
「でもばぁちゃんが、意地を張っちゃうと周りは、強くものを言わざるを得ないよ」
「だからばぁちゃんは、叔父と母の母親なんだから妥協しよう」
祖母は「どうしたらいい?」と聞いてきました。
「まずは叔父と母にお礼を言おう」
「そして杖を使ってくれ、頼むから。」
祖母は半ば泣きながら「分かった」と言いました。
そのあとの祖母は止まりませんでした。
私と小さいころ箱根に行ったこと、私が眼鏡屋のBGMに合わせて踊っていたこと、カインズホームのラーメンが美味しかったこと、ありとあらゆる思い出話に、花を咲かせました。蓋を開けたら祖母と1時間も電話していました。
最後はすっきりした感じで、
「大ちゃん、またね」と言って電話を切りました。
なんか老人がこんな電話の切り方するの嫌だな、、、
と思いながら電話終えました。
私は父がいない分、父方の祖父母の面倒も見る必要があります。
また母方の方は叔父の息子、娘がアホな為、私に協力要請が来ます。
決して嫌じゃないです。
ある意味、頼られていることへの一種の満足感を得ているほどです。
この先どうなるか、未知数ですが後で後悔しないように、
接していきたいと思います。