久しぶりの更新です。
ここ最近、特に忙しい訳でもなくただ「楽しく」過ごしていました。
その内容に関しては、後日書いていきたいと思います。
最近、親戚の大叔母が老衰で亡くなりました。
享年97歳の大往生でした。
今年、お正月に結婚予定の「今の妻」と挨拶に行きました。
正直、私自身は会うのがこの時、「3回目」くらい。
疎遠に近い状態ではありましたが、その時は本当に元気で、
とても90代後半には見えないような若々しさでした。
その後も祖父母を連れて、2~3回程会いに行きました。
その度に「はとこのおじさん?」が叔母さんに言われてコンビニの高いプリンを用意して待ってくれていました。
本来であれば親父が、叔母さんに会いに行くのが筋ですが、
我が家にはもういません。その代わりなのか、いつも可愛がってくれました。
我が一族は「台湾からの引き揚げ」で日本に帰国した一族です。
当時の日本軍が台湾に駐留していたのを機に一族も台湾に居住していたのです。
祖父の父、私からすると曾祖父になりますが台湾の警備隊に所属しているのと、
同時に養鶏場を経営しており、当時としてはそこそこ裕福なのではないか、と思います。
そんな曾祖父も早世してしまい、一族は路頭に迷うことになります。
戦況の悪化もあり、当時の台湾にはアメリカ軍からの空襲もあったと曾祖母から聞いております。曾祖母は当時4~5歳だった祖父を連れて戦火の中を逃げていたそうです。
暗く狭い防空壕の中、爆弾が落ちるたびに祖父は「怖いね~、怖いね~」と、
曾祖母の腕の中で震えていたそうです。
この話をする度に曾祖母は涙を目に浮かべながら話してくれました。
今回、天国に行ったのが曾祖母の「妹」になります。
叔母さんは、現在も存命中の「大叔父」(我が一族の長老です)と一緒に、
祖父姉妹を全面的に支えてくれた功労者です。
祖父は今でも分かるくらい聡明な人間です。
生真面目、責任感の塊、気遣いの鬼、常に人の心配をしている優しい人です。
当時から頭も良く、東大生を輩出するような高校にも行けたようですが、
引き上げた際に家財の一切を台湾に置いていった為に、お金もなく、曾祖父も亡くなっていた為、一家の大黒柱として、当時の「集団就職」の中の一人として働きに出ました。
そんな今の祖父を支えてくれたのが、「大叔母」と「大叔父」です。
今よりも物も情報も少ない時代に、一生懸命に生きてきました。
話は戻りまして、大叔母の葬式の際に新発見がありました。
大叔母は生涯独身を貫いた立派な女性でした。
棺にお花を入れる際に、2枚の写真が出てきました。
1枚は若いころの大叔母の写真。
もう1枚は「若い軍人さんの写真」でした。
立派な軍刀を持つ若い軍人さんでした。
話によると戦時中に「将来を誓い合った婚約者」だったそうです。
残念ながら婚約者の方は「戦死」してしまったそうですが、
大叔母は身内の中の一部の人間にしかこの事実を伝えず、生涯の伴侶たるその方を、
晩年まで想って、結婚もしなかったそうです。
まさか自分の身内で、そんなドラマのような事があるのかと、涙が出てきました。
人徳もあり葬儀はとても感動するものでございました。
私自身もそうでありたいと思います。(妻には葬式不要と言ってありますが)